本因坊秀策の「逸話」を紹介

生まれながら囲碁好き?

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秀策が幼い頃入った押入れを再現している
本因坊秀策囲碁記念館生家

 秀策が母の胎内にいるとき母が大病を患いました。母はあるいは死亡するかも知れないと思い適意の娯楽をして心の慰安を求めて余生を送ろうとし、もっぱら囲碁を楽しみとしました。期満ちて分娩した児が碁を好むのもいわゆる胎教に由るものといわれます。
 
 また、3、4歳の時、泣き止まないときに菓子などをやっても泣きやまず、碁石をやればすぐ泣きやめ黒白を並べて遊んだといわれます。
 
 ある時父輪三が怒って彼を押入の内に幽閉しました。しばらくして泣き声がやみ、すすり泣き声もしなくなったので母が心配し、そっと見ると押入の内にある碁石を出し、これを盤上に並べるのです。母がその好みを察し囲碁を教えたのが5歳の暮れでした。
 
 囲碁を理解すると手段巧妙人の意表に出ずるものがあったといわれます。
 
 

寝室から囲碁指南

 秀策が病気にかかり寝室にいました。別室では門人等研究につとめていましたが、たまたま秀策は廁に行こうとしてそのそばを通り甲乙対戦の状況を一見しました。終局になり評論百出してついにジゴときめました。
 
 秀策は布団の中から白が一碁子の勝であるといいました。門人等研究してもそれがわからないので指導を乞いその鑑識の的確なるに驚きました。
 
 

強盗にもひるまず先読みで切り抜ける

 秀策はその年兄と共に江戸に上りました。東海道の各駅を経てある宿に泊まり払暁出発することを告げました。宿の人がその時期の来たことを告げたので急いで朝食を食べ宿を立ちました。しばらくして月が東の領に上り夜はいよいよ深まりました。宿の人が東天の白さを見て曙光と間違えたのです。二人は話しつつ歩き、漸くして鈴鹿の森に来ればうっそうとした森の中に犬がほえて人声が聞こえます。
 
 兄は「鈴鹿の森は刑場で昔から強盗の巣くつだ。早く逃れて難を避けよう」といいました。
 
 秀策は泰然として「今逃げると彼らは必ず追ってくる。機先を制して彼らの胆を奪おう」といいました。近付くと蓬頭に垢だらけの徒が群をなして豪語し、寧猛な顔は鬼のようです。
 
 秀策は泰然自若として焚き火に近づきおもむろにキセルを出して一服し袖をさぐり金を少し与え「下向の時ではないので財布の中も思うようにならない。許せよ」と悠然と去って顧みもしません。賊は呆然として追ってこなかったそうです。
 
 機先を制するのは碁客の秘訣、行はこれを応用したものでしょう。

本因坊秀策囲碁記念館

本因坊秀策生誕の地「尾道市・因島外浦」の囲碁記念館。秀策ゆかりの品の展示、生家を再現公開しています。[ 詳細は公式サイトへ LinkIcon ]